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2015-02-10

経営のお手本、オムロン創業者立石一真の「理念なき経営は海図なき航海」

グーグル、アップル、アマゾン、フェイスブック・・・。ベンチャー企業が参考にしたり、引き合いに出したりするのは、海外の会社が多いですが、日本の企業、特に戦後の荒廃の中で会社を立ち上げ成長させてきた日本の経営者からも、多くのことを学ぶことができます。

戦後の経営者の代表格というと、本田宗一郎や藤沢武夫、井深大や盛田昭夫ですが、オムロン創業者の立石一真は、これら代表格に全く劣らない起業家であると言えます。

戦後、50歳でオムロンを再スタート
オムロンは、1933年に立石一真が立石電機製作所を創業したのが始まり。しかし戦後、苦楽を共にしてきた弟や子供の死、過剰な共産主義者による労働争議、戦後の経済緊急措置やドッジ・ラインの煽りをモロに受け、倒産寸前に追い込まれました。また、時を同じくして、子供5人を残して妻が死亡するなど、公私ともに苦労が耐えない時期がありました。

そのような中で、1949年、ゼロの状態、いや、負債のあるマイナスの状態から会社を再スタートしました。立石氏の年齢は50歳です。

説得力のある社会的責任の説明
立石氏はドラッカーと親交がありました。お互いに影響し合い、お互いに教わるところがあったのではないかと思います。

立石氏は古くから企業の公器性に触れています。

われわれの働きで
われわれの生活を向上し
よりよい社会をつくりましょう

これは社憲として制定したもので、今でもオムロン社のホームページに掲載されています。

これの意味するところは、

「得意先に対しては良い仕入先となり、仕入先に対してはよい得意先となって奉仕する。同じような形で、国家には税金、従業員には高賃金、株主には高配当、よい製品を通して社会に奉仕する。」

とのこと。

このような考えで、企業の成長と社会的責任を結びつけていました。

さらに、利潤については、「利潤は企業を存続させ、また伸ばしてゆくための経費だ」としました。

「社会の側からすると、よく奉仕してくれる企業でなければ存続させる必要はないので、企業は社会から生かされているのだ」、

という立場をとっています。

ドラッカーも同じ考えを披露していますが、ドラッカーから影響を受けたのか、立石氏がドラッカーに影響を与えたのかはわかりません。

ただ、いずれにせよ、企業の根幹となる考え方を定め、それを一時的にやり過ごしていたわけではないと思います。

「ミツバチ自身は、花粉の媒介をするつもりで蜜を集めているわけやないが、結果的には花粉の媒介という奉仕の仕事をやっている。企業の場合も、利潤を追求しているが、それが結局は社会への奉仕になっているんや。企業の公器性いうのは社長が気がついたから急に公器性になるんやなくて、本来、企業は公器性のものなんや」

CSRの担当部署を構え、PRの一環のように捉えている一部の現代企業とは異なり、企業とは何かを本質的に考えて、社会的責任を担う存在であることを見事に説明していると思います。

(引用:「できませんと云うな」/新潮文庫、「永遠なれベンチャー精神」/ダイヤモンド社)

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